一生懸命ペンギン
こんなたとえ話をしたことがある。
「一生懸命飛ぶ練習だけしたペンギンと、毎日ともだちと遊んでたペンギン、どっちが飛べると思う?」
どちらが偉いという話でもなく、正しいという話でもなく。わたしは毎日ともだちと遊んでしまったタイプのペンギンなので、「いつまでたっても飛べないなあ」と思っていたし、かといって毎日飛ぶ練習に取り組むほどまじめじゃないのもとっくに知っていた。
一生懸命飛ぶ練習だけしたペンギンと、毎日ともだちと遊んでたペンギン、どっちが飛べるとおもいますか、
— サチコ (@cho_co7) 2012年1月10日
だけど、この頃わたしは自力で飛ぶことを明るく諦めながらも「みんなのおかげで飛べてしまった」、という経験を何度もしていたのだと思う。
そのペンギンは、そのうち、大きな鳥さんと友だちになって、背中に乗せてもらって悠々と空を飛んだりする。その下では"一生懸命ペンギン"が羽(手?)をバタバタさせたりしている。鳥の背中の上から、ちゃんとそれも見えている。
鳥さんの背中から見える景色は、氷の上にいるときより遥かに美しいし、それはそれは素敵なものなんだけど。
帰り道、その景色を、"一生懸命ペンギン"に教えてあげようと小走りでいくんです。"一生懸命ペンギン"のことがほんとうに大好きなんだ。そして今度はみんなで鳥に乗ろう、ときには羽(手?)をバタつかせよう、別の飛ぶ方法考えよう、いや、意外と陸もいいかもしれない。そうやってみんなで生きていこう、ね。