"ほんとう"を見るちから

ずっと、ひとの気持ちをわかりたかった。

いつからそう思っていたか覚えていないけれど、わたしにとって大切なのは、一番に早く走れることや、テストでいい点数を取ることよりも、友達がたくさんいて、みんなで楽しく過ごせているかどうかだった。

幼い頃、マンガやドラマの中の人物によく憧れた。彼らはたいてい「相手の本当の気持ちや本質をしっかりと見ることができて」「世間体や一般論なんてふっとばして、その人のことを全力で大事にできる」そんな、めちゃめちゃかっこいいヒーローだった。色めがねを使って、世界を見ない。自分の損得で友達と付き合わない。ときにぶっ飛んだやり方で、友達のために走り回る。バカでも、貧乏でも、彼らの周りにはいつも友達がいて、幸せそうに見えた。

マンガやドラマだってわかっていたけど、そういう人になりたいって、いつも思っていた。わたしが彼らに憧れていた理由は、その派手な手法や無鉄砲さではなくて、「"ほんとう"を見ようとする力」だったのではないかと思う。色めがねをかけていない彼らはいつだって、めちゃめちゃかっこよく見えた。

「好かれたい」「わかってると思われたい」という思いがスタートだったかもしれないけれど、今となってはどっちでもいい。「友達のこと・気持ちをちゃんとわかりたい」という気持ちは、今もわたしのまんなかにある。もちろん、他人を理解するなんて難しいことだ。だけど、相手のことをちゃんと見つめられる目を持っていたいと思う。表面に見えていることだけで、その人を判断しない。ありきたりなことばで相手を語らない。イメージで決めつけたり、押し込めたりしない。わからないときは、「わからない」でいい。でもいつだって、ちゃんと「そのひと」を見ていたい。

そうしているつもりでも、なかなかできていないこと。いちばん欲しいちからは、"ほんとう"を見るちから。

色めがねは捨てよう。いつだってフラットな目と心で、誰かと接したい。