母と樹木希林が似ている

わたしは母がどんな人間だったのか、よく知らない。

母のこと

大学生3年生の終わり、母が亡くなった。高校を卒業して家を出るまでは一緒に暮らしていたのだから、もちろん全然知らないというわけではない。

ただ、家にいる母は「お母さん」の姿でしかなかった。だから、母自身がどんな人間で、何が好きで、何を思って生きているのかは、びっくりするくらい、よく知らなかったのだ。

母が好きなもの。父。家族。ラモス瑠偉。生徒。お庭や植物。賢くてハンサムな男の子。あとは、うーん、何だろう。

仕事に対する思いも、スタンスも、私たちにどんな人生を歩んでほしいと思っていたのか、母自身の人生をどう考えていたのか、家族のこと、過去のこと。わたしはあまりに幼すぎて、母が一人の人間だということを本当の意味で理解することができなくて、いつまでも子どもだった。だから、母はいつまでも母のままだったのかもしれない。

 

樹木希林さんのこと

樹木希林さんの魅力の虜になったのは、2015年に映画「あん」を観たときだ。小さな頃は「変なおばさんだなあ」くらいに思っていたが、素晴らしい俳優さんだと気付いたのは本当に数年前。「あん」に出会ってからは「1番好きな女優さん」として、彼女の名前をあげるようになった。

その演技はさることながら、普段の彼女の姿も大好きになった。嘘を言わない。媚びない。謙遜も誇張もしない。ちょっとのユーモアと、時々、意地悪。(意地悪なんじゃないけどね)飄々としているその姿、歯が立たない感じになんとなく既視感があった。あ、わかった。樹木希林さんと母は似ているんだ。

父に何気なしに「樹木希林さん主演の映画を観た、すごくよかった」と話すと、父は「あの女優さん、なんかママに似てるんだよなあ」と言った。

「なんていうか、敵わない感じが」

やっぱり。

 

「敵わない」存在

樹木さんほどではなかったかもしれないが、母にも上述したようなところがあった。たとえば父と母はほとんど喧嘩をしたことがない。父が多少カッとなったとしても、母は相手にしなかったのだろう。肩をすくめて、すまして、何も言わない。そのうちに母のペースに引き戻されて笑っている父の姿が想像できる。戦わずして勝ってしまうような、それでいて"正しい"と思わせてしまうような。なんとなくユーモアで丸く収めてしまう。そんな力があった。

人が近寄ってくる明るい性格だったけれど、その距離を自分から詰めようとは決してしなかった。外に出て行くのも好まなかった。来るものはたまにしれっと拒んで、去るものは追わなかった。居続けるものにはやさしかった。不思議な人だった。本当に、不思議な人だった。

父にとって、私たちにとって、母のそういうところが、光だった。

 

役を生き続ける

そんな特別な思いもあったから、訃報を聞いたときは本当にショックだった。だけど、彼女には作品の中で会うことができる。彼女が生きた役の姿に、何度でも出会うことができる。それがせめてもの救い。

「東京タワー」や「わが母の記」そして「あん」は、どうしても涙が出てしまう。これからはもっとそうなるだろうな。「あん」は素晴らしい映画だけど当時は父にすすめられなかった。きっと、母を思い出してしまうのではないかと思ったから。

 

「母をよく知らない」なんて思うようになったのは、自分が歳をとったからだろう。母はいつまでも、56歳のままだ。

樹木希林さんをみるたび、母を思い出したりして。「やっぱり敵わないなあ」なんて、思い続けるのかもしれない。