わたしは今年もわたし

毎年、年末年始はその年を振り返ったり、石井ゆかりさんの年報を読んで目標を立てたりと張り切っていたのだが、今年はいい意味でぬる〜っと始まった。まだ12/29みたいな気持ちだ。

2019年は2018年の続きでしかなく、わたしはこのままわたしでいられたらいいなと思う。キリのいい年始に目標を立てたり再認識したりするのも楽しいんだけどね。まだ、追いついていない。

そんな感じでゆるゆる実家で過ごしていた年始に、母の卒業論文を見つけた。文学部だった母が、昭和47年に、竹取物語について書いた論文だった。時間がなかったので冒頭と終わりの文章だけをそおっと読んだ。

わたしは母が自身について語ったところをほとんど見たことがないのだけど、そこには若かりし母が自身の人生についてまだ迷い、何かを見つけようとしている破片が見え隠れしていた。「自分の生き方を把握したい」と母は言った。

私の知らないことはあまりにも多すぎ、その中にもきっと自分の全神経を集中させえるものはあろう。しかししらないということはただそれらのものがいかなるものであっても私には無に等しいのである。凡人の私にはそれらのものをどれだけ知ることができるかかといってもごく一部の限られたものだけなのである。そして私の生命にも限りがある。
しかし、今こうして生きている以上、常に生の充実をはかるべきではないのだろうか。
安易な生の中に埋没することなく、「文学」を通して自分の生き方を見つめつつ自己をまず確立させたい。

母が何を考えていたのかはもう分からない。この文章の温度感もわからない。時間を吸い込んだ原稿用紙の上をすべる直筆の母のことばを見て、静かに胸が熱くなった。

母が文学を通して自分を知ろうとしていたように、あらゆるものと接するなかで、結局わたしが知りたいのは自分のことだけなのだ。そのことを長い年月をかけて、確認しているだけ。

わたしは今年も、わたし。どうぞ、よろしくお願いします。