ミスター・ドーナツの思い出

わたしが生まれ育った町には、デパートがなかった。

デパートどころか、大型スーパーも、ツタヤも、ブックオフも、マクドナルドも、ミスタードーナツも、この町にはなかった。お父さんの車に乗って隣町やその隣町へ行けばだいたいのことはこと足りたから、不満に思ったこともなかった。それが当たり前だったし、何も知らなかったから。

年に何度か、遠くの町へ買い物へ出かけた。ほとんど小旅行のような気分で支度をし、車の中でかけるカセットテープを選んだ。出かけるのは夏休みやクリスマスや誰かの誕生日のことが多く、デパートで新しい服やサンリオの雑貨を買ってもらうのが楽しみだった。そして帰りは決まって、ミスタードーナツに寄った。

ちいさい頃のわたしは、ミスタードーナツをたいそう素晴らしい場所だと思っていた。特別な買い物のあと、必ず訪れる場所。内装も素敵だったし、あの頃ドーナツを食べられるお店はほかにはなかったのだ。

むかしのミスタードーナツには、スクラッチカードがあった。いくらかごとにカードがもらえて、点数がたまるとお弁当箱などのプレゼントと交換できたのだ。

たまにしか来られないわたしたちは、お店で食べる分と家に持ち帰る分も買って、スクラッチカードをたんまりもらった。なにしろ我が家は三姉妹だから、必ず、お弁当箱を3色とももらって帰らねばならなかったのだ。今も家には、3色のお弁当箱が数セット、ある。

子どもが3人そろっていることもあって、カードを集めていない方がくださることもあった。それもとても嬉しかった。あまったカードは、お母さんがいつも誰かにあげていた。

ニコニコしながら誰かがカードをくださること。お弁当箱が3つ、そろっていること。家族でドーナツを食べること。

そういう幸せなことが、当たり前だと信じて疑わなかったあの頃のことを思うと、まぶしくて、胸がぎゅっとなる。何も知らなかった、そういうのが幸せだということも。

今でもミスタードーナツに行くと、その頃の記憶がよみがえる。東京のミスタードーナツは記憶の中のミスタードーナツよりもせまいし、内装も簡素で、雰囲気も違うけれど。幸せな記憶に包まれていく。

生きていればいろんなことを更新していくものだと思うけれど、わたしはなかなかそれができない。どんなにおしゃれなカフェを知っても、忘れることができない、ミスタードーナツの思い出。