愛さずにはいられない(それなりに)

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仕事のなかで「愛さずにはいられない」ということばに出会った。なんとなくずっと、頭のはしから離れなかった。

「愛さずにはいられない」ものってなんだろう。好きなもの、好きなのが当たり前すぎて好きだというのを忘れているもの、好きで好きで仕方がないもの...

考え出すときりがないけど、「じぶん」もその一つなんじゃないかと思った。

「わたしはわたしを愛さずにはいられないのです!」というわけではなく。なんというか、自分くらい自分を応援してやらなくてどうするんだ、という思いを昔からもっていた。

それなりにコンプレックスを抱えていた思春期の頃、わたしは「この先も、こんな感じの性格と容姿でやっていくしかないのだから、腹をくくろう」というような決意をしたことを覚えている。文章にすると身も蓋もないな。

そら自分と違うタイプの人に憧れたりもしたのだけど、「この先も生きていくこのわたしを受け入れてやろう」みたいなことを小さく決意した。その日から今日まで、のん気に生きてきました。

わたしはずっと、自分が好きなものを好きでいることに寛容だった。自分が思い描いた夢を笑ったりすることは一度もなかった。わたしはわたししかいないのだから...愛してやらないでどうするんだ〜??と思う。

もしも生まれ変わっても また私に生まれたい この体とこの色で 生き抜いてきたのだから  ーポケットビスケッツYellow Yellow Happy

今の若い子は知らないのかもしれない!ウリナリ!!世代は夢中になったあの曲。千秋ほどの強い意志があるわけではないんだけど、「こんな感じでやらせてもらったので、生まれ変わらなくても大丈夫で〜〜す」ってな具合。自分が誰かと比べてすばらしいとかでなく、一応、それとなく愛せているものですから。

わからないままの太宰治

恥の多い生涯を送ってきました。

中学生のころ初めて太宰を読んだ感想は「こういうことって小説にしてもいいんだ!」だった。自分の中にある認めたくない、見えないふりをしている気持ちが、そこに書かれているから驚いたのだ、たぶん。

以前、木村綾子さんもおっしゃってたけれど、昔は太宰について語るハードルが高く、「太宰を読んでいる」というと「大丈夫?」みたいな空気があったと思うし、なんならちょっと「大丈夫?」と言われたくてファッション太宰をしていた節もある。(恥)そもそも、中学校に太宰治の話をできる人はいなかったけれど。

なんにせよ、当時はうまく解釈できず、でも第1の手記が妙にわすれられず、印象に残っていた。

高校生になってもう一度読んでみたとき、「あれ、別にそんなに暗い話じゃないんじゃないか?」という感覚が広がった。ダークで、絶望的で…というような先入観がなくなって、「なんか人間くさいし愛すべきひとなのかな?」と思えてきた。

そんな感じで、ときどき読みたくなって開いては、ちょっとこわくなってすぐに閉じたり、やっぱりよくわからないまま、本棚にそっと戻したりし続けた。会えば会うほどすきになるみたいに、なんとなくわたしのなかで存在が濃くなっていった。

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桜桃忌。わたしはここ3年、連続で早めに退社している。お墓まいりではなく、又吉さんが主催する「太宰ナイト」にいくためだ。

又吉さんのおかげで、わたしの「人間失格」は、みるみる世界を広げていった。誰かの解釈を聞くのがこんなに面白いなんて。こんな深い読み方ができるなんて。太宰のみならず、読書の楽しみ方を教えていただいている。

わからないままにしていた小説と、感情と、また向き合えるようになった。時が経つといいこともあるものだなあ。

ただ、いっさいは過ぎていきます。自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。

 

どんな悲しいことがあっても、のんきな天気のまま、電車はいつも通り走り、驚くくらい普通に次の日がくる。わからないままの小説を本棚に戻しても、時間が経って解釈できるようになったり、誰かに面白さを教えてもらえたりする。自分の変化や成長で、小説の面白さが変わっていくのにも気づく。とにかく時間は流れていく。自分の心以外がぐんぐんすすんでいく。ときどき何はなくとも、そんなことを考えて置き去りにされてしまう。口の中でぶつぶつと「ただ、いっさいは過ぎていきます。」とつぶやく。わたしなんかよりよっぽど置き去りになってしまった太宰。死してなお生き恥を晒してわたしたちに「大丈夫だ」と教えてくれているような気がする、そうやって勝手に親近感を覚えてどんどん、わからないままの太宰を好きになっていく。

スイミーでいること

こんなことわざわざ言うのもはずかしいけど、小・中学生の頃「変わってるね」と言われることが嬉しくて、あえてそういう行動をしていた節がある。「着眼点違うでしょ」みたいなところを見せたかったのかもしれない。恥ずかしい。シャープかよ。

アイディア勝負の図工や、行事ごとは楽しかった。動物占いは「狼」で大喜び。中学に上がるとカルチャーへの興味が湧いて、みんなが読まなそうなマンガや、マイナーっぽいバンドを探した。物事をなるべく自由に解釈して、自分なりにことばにしてきた。

まあ、こんな程度の「変わってる」への憧れは、だんだんと世の中にある自分の好きなものを発掘する楽しさに変わり、考えたことはそのままわたしの個性になった。

それでいて、周りの人は、わたしと誰かを比べたりしなかった。だからわたしは堂々と自分の好きなものを好きだと言い、自分の考えを話すことができたのだろう。

 

団体でいるときのわたしは、調和を好み、「みんなにとって良いこと」が「自分にとっても良いこと」となるタイプだった。でもときどき自分でもびっくりするくらい、人と違う意思表示をはっきりとすることがあった。

たとえば、孤立していた女の子が学校に来たとき地獄のような空気の中で「おっはよ〜」と言うとか、無視されてた数学の先生にひとり自主学習を提出し続けるとか、ずっと力を振りかざしてケンカ(という名の支配)をし続けていたともだちをある日「許しちゃいけないな」と思ってじっと耐えて仲直りをしなかったり、とか。(時を経て仲直り済み)

英雄ぶりたいんじゃないのだけど、人の顔色をうかがうような調子の良さも持っている自分が、どうして時々そういうことができたのかが、ふしぎなのだ。

もしかしたら、

「変わってる」への憧れからスタートしたヘンテコな気持ちは、「人と違う状況がこわくない」につながっていったのかもしれない。

 

スイミーでいること。

人と違う選択を、おそれちゃいけない。みんなと違う意見でも、本当にそう思うなら伝える。いつもはゆらゆらみんなと泳いでいても、守りたいことがあるなら。好きなことがあるなら。くるっと身を翻して、スイミーになることを恐れない。

じぶんの宇宙のことで精一杯

最近になって生きるのが前より楽になってきた。

じぶんの宇宙とひとの宇宙を分けて考えられるようになってきたからだと思う。今までもわかってはいたつもりだけど、誰かの態度に傷ついたりそれを根に持ってしまったり、人の目を気にしてしまうくせというのはなかなか消えなかった。

宇宙、というのは「こころ」みたいなものをさす。ものごとをどう捉えてどう感じるかは、じぶんの状態にもよる。こころもちや考え方次第で世界が変わることを知っていたほうが、うんと楽だと思うのだ。

わたしは割と幼いころからこの考え方を持っていた。ともだちとケンカして傷ついたり、部活動で悩んでいるときに父がくりかえしかけてくれたことばによるところが大きい。

父はいつも、「大切なのはじぶんのこころだ」ということを教えてくれた。

今わたしが生きるが楽だと思えるようになったのは、じぶんの宇宙をまんなかに持ってくることに成功したからかもしれない。

たとえば誰かの態度を冷たく感じたとき。少し前のわたしは、じぶんのせいだと思ってしまったり、その態度を向けられたことがショックで、ショックであることを伝えようとしてしまっていた。そしてかぶせるようにいやな態度を取ってしまうこともしばし、あった。

これは誰もしあわせにしなかった。

その人は、おなかがいたかったのかもしれない。何かに焦っていたのかもしれない。それにひっぱられてもいいことは何ひとつないのだ。

そして、どんな状況を「しあわせ」とするかも、人(宇宙)それぞれでもある。しあわせだけでなく、どんなこともほかの星のものさしでははかれやしない。比べることはほとんど無意味だ。じぶんの宇宙のルールに従えばいい。

そのことを理解し、少しずつ訓練して、やっとできるようになってきた。

誰かの宇宙は変えられない。

サチコは今日もじぶんの宇宙のことで精一杯なのだ。

ミスター・ドーナツの思い出

わたしが生まれ育った町には、デパートがなかった。

デパートどころか、大型スーパーも、ツタヤも、ブックオフも、マクドナルドも、ミスタードーナツも、この町にはなかった。お父さんの車に乗って隣町やその隣町へ行けばだいたいのことはこと足りたから、不満に思ったこともなかった。それが当たり前だったし、何も知らなかったから。

年に何度か、遠くの町へ買い物へ出かけた。ほとんど小旅行のような気分で支度をし、車の中でかけるカセットテープを選んだ。出かけるのは夏休みやクリスマスや誰かの誕生日のことが多く、デパートで新しい服やサンリオの雑貨を買ってもらうのが楽しみだった。そして帰りは決まって、ミスタードーナツに寄った。

ちいさい頃のわたしは、ミスタードーナツをたいそう素晴らしい場所だと思っていた。特別な買い物のあと、必ず訪れる場所。内装も素敵だったし、あの頃ドーナツを食べられるお店はほかにはなかったのだ。

むかしのミスタードーナツには、スクラッチカードがあった。いくらかごとにカードがもらえて、点数がたまるとお弁当箱などのプレゼントと交換できたのだ。

たまにしか来られないわたしたちは、お店で食べる分と家に持ち帰る分も買って、スクラッチカードをたんまりもらった。なにしろ我が家は三姉妹だから、必ず、お弁当箱を3色とももらって帰らねばならなかったのだ。今も家には、3色のお弁当箱が数セット、ある。

子どもが3人そろっていることもあって、カードを集めていない方がくださることもあった。それもとても嬉しかった。あまったカードは、お母さんがいつも誰かにあげていた。

ニコニコしながら誰かがカードをくださること。お弁当箱が3つ、そろっていること。家族でドーナツを食べること。

そういう幸せなことが、当たり前だと信じて疑わなかったあの頃のことを思うと、まぶしくて、胸がぎゅっとなる。何も知らなかった、そういうのが幸せだということも。

今でもミスタードーナツに行くと、その頃の記憶がよみがえる。東京のミスタードーナツは記憶の中のミスタードーナツよりもせまいし、内装も簡素で、雰囲気も違うけれど。幸せな記憶に包まれていく。

生きていればいろんなことを更新していくものだと思うけれど、わたしはなかなかそれができない。どんなにおしゃれなカフェを知っても、忘れることができない、ミスタードーナツの思い出。

自分のなかに原因をさがすこと

なにか問題にぶつかったとき、誰かとうまくいかなかったとき。どうやって解決してきただろう。

なんでわかってくれないんだろう…とか、あの人のこういう性質が…とか、誰かのせいにしてしまうこともたくさんあった。「人を変えるのは難しいし、すべきでない」ということはよく耳にした。

この20年近くで「人を変えようとするより、自分が変わる方が楽である」ということをじんわりと、身を以て感じてきた。自己犠牲のはなしでも、自分だけが大人になればことが収まるとかそんなことではない。

ひとつの問題を解決しても、生きていればまたむつかしいことに出会う。その都度また誰かや何かのせいにして逃げていては、しんどくてしかたない。わたしはわたしがどんな問題に直面してもやっていけるように、わたし自身を変える。変えることで、まもる。

人を変えようとしないということは、父から教わってきたことのひとつでもある。父が教えてくれたのはすべて、大事なのは自分のこころだということにつながる。

このことにようやく気がついたのは、離れたくないと思う場所にい続けているからかもしれない。もちろんなんでもかんでもじゃないけどね。

以前に、相手に思ってもいないような誤解されたことがあった。悲しくて、くやしくて、がまんならなかった。正直、その人を心の中で責めたりもした。だけど誤解されたのがこんなにもショックなのは、その人が大切だからだと気がついた。そんな大切な人に誤解されるような態度をとったわたしにも原因があったかもしれない。それであればもうこんな誤解を生むような態度は改めよう。そしてその分感謝を伝えよう。

こういう姿勢は、わたし自身を助けてきたように思う。

そうか。今までは、「人を変えない」ということを、人のためにやっているような意識があったかもしれない。ほかならないわたし自身のために、わたしは自分自身のなかに原因を探し続けていくよ。

 

だれかに勝つことよりも

「1500メートル、ゴール目前で、わたしのこと抜かしたよね」

初めて会った子にそう言われて、え、?と首をかしげた高校の入学式。よく聞けば中学時代の陸上大会で、ゴール前の直線で私に抜かされ4位になったのが、彼女だったらしい。正直、誰を抜いたかなんて全く覚えてなかったし、「あ、終わっちゃうから加速したほうがいいのかな」と慌てて走っていたようななんちゃって陸上部だったので、なんていうか、ただただ走るのが楽しかったのだ。

その子とはのちに親友になった。負けん気が強く頑張り屋さんのスポーツマン(女子です)。彼女は闘志むき出しのタイプで、自分に厳しく、誰かに負けるのをたいへん悔しがっていた。

わたしはというと。闘争心がないわけでもないし、人並みに嫉妬もする。ずっとバスケットボールをやっていたので、試合に負けて泣いたこともあるし、コテンパにやられたらお腹の底がごうごうと燃えたりもした。

だけど、人に勝ちたい!という想いとはなんとなく違っていた気がする。いまだにうまく言えないけど、「自分が頑張ったと思った結果が出なかったことがくやしい」とか、そんな感じだ。戦ってたのはいつも、自分自身でしかなかった。

でも今思うと、高校のときのバスケ部になかなかついていけなかったことで、誰かに勝つということよりも自分自身と向き合うしかなくて、それでその大切さに気づいたのかもしれない。

レギュラーになれなくても悔しいとは思わなかったけど、頑張ったときに試合に多く出させてもらえたらとても嬉しかった。逃げたような試合をしてしまうのは悔しかった。そういう性質は今も引き続き、持ってる気がする。

 

今も思う。だれかに勝とうとするんじゃなくて、自分と向き合うことがわたしを支えてる。自分自身をちゃんと見てあげる、っていうこと。試合の結果だけみないで、その過程をちゃんと見てやろうと思うのね。そういうことのほうが意外と、根気がいるのだ。誰かに勝ちたい!という気持ちを明るく燃やせる人はまぶしい。そんな憧れを持ちながら、今日もマイペースに生きるのであった。