ポエムをなめるな

2016年にわたしを救ったことばがある。

最果タヒさんのブログで出会った、この文章。

「お化粧も詩である、ファッションも詩であるという立場に僕は立ちたいんです。資生堂の仕事というのは、日常にあって日常を超えること。現実を童話の世界に変えること。一種の魔法。だから、詩と同じなんです」
資生堂「現代詩花椿賞」創設にあたっての、詩人・宗左近さんの言葉)

広告の仕事も、きっとそうだ、そう思っていいんだ。そして仕事に限らず、どんなことにも「物語」や「詩」を持ち出してしまう自分のことを、「ポエマーくずれ」とわざと自虐したこともあったけれど、自分の根底に流れているものが、どう考えても「物語」や「詩」なのだから、誰に何を言われても、揶揄されても、もう少し信じて続けてみようと思ったんだった。

なんていうか、ポエムをなめるな。

詩を、曖昧なものだとバカにするな。

現実を支えているのはいつだって小さな魔法だ、魔法の連続が人生だ。何でもかんでも定義して正しいことばに変えてくれるな。良くある単語で喋るな。いつだって自分の表現をしている人が好きだ。自分のことばで話すこと、やめないでもう少し信じ続けてみる。

 

読む人がその詩を通じて、その人自身の内側や現実を見つめるような、そんな詩。いつもの景色や自分を少しだけ、変えて見せてくれるような、そんな詩が作りたかった。そしてそれはきっと、お化粧が放つ光のようなものにとても近いと思うのです。既製品の美しさを被せるのではなく、その人の内側から、その人自身の美しさを浮かび上がらせるような、そうしたお化粧にはきっとレンズのように自分を変えます。飾るだけで、見える景色も明るく、もしくは瑞々しく見えていく。それは、私が作りたかった詩の、あり方そのものでした。
最果タヒ 2015.11.3blog「星が、人が、美しさを愛するなら。」より)

 

 

まだカタカナの「シ」が上手にかけなかった頃。ファッツョン。