勝手にしあわせでいて


好きな人たちに対して思うことがある。それは、どうか勝手にしあわせになってほしい、ということ。
 

 

以前にこんなツイートをしたのだけど、今でも本当にそう思っている。幼い頃は好きな人に何かをしてあげたい、してあげられるとばかり思っていたけれど、人が人にしてあげられることなんて何もないのだと気がついてからは随分と楽になった。そして、「勝手にちゃんとしあわせになってほしい」と思うようになった。

先日、久しぶりに仕事でしんどい状況に直面した。クライアントと対面で重たい話をしなくてはならず、また、背景に絡みついた事情も複雑なものだった。伝え方、感情のコントロール、どう話を収束させるか。いつその日が訪れるか不明確でもあったから、なんとなく落ち着かない1週間を過ごしていた。

話をすると決まった当日は、わたしの大好きな人たちが鎌倉に1泊2日旅行に出かける日でもあった。わたしは「2日目から参加するかも枠」でメッセンジャーのグループに入れてもらっていた。

みんなが徐々に鎌倉に集まりだす。一人増え、また増えて...という様をリアルタイムで見ていて、なぜだかめちゃめちゃ救われる思いだった。「嬉しいから実況して!」と言うと、鎌倉名物の大きな白玉とか、長谷へ向かう切符だとか、報告と一緒に何枚か写真を送ってくれた。

嫌なことも起こるけど、同時にこんな素敵な時間を過ごしている仲間もいる。なんだかそれはとてつもないことに思えた。自分が今いる時間軸は当然ひとつだけど、でも世界にはたくさんの時間が存在している。好きな人たちが過ごす時間も、存在している。

きっと鎌倉で過ごした時間は、きらきらした宝物みたいだったと思う。みんながそういうときを過ごしたことがただただ嬉しくて、好きな人が勝手にしあわせでいてくれることの尊さを思う。